桃泉の備忘録

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「いただきます」はなぜ必要?食事のあいさつを考えるまとめ

いただきますをする女の子

いただきます=ありがとう

「いただきます&ごちそうさま」は食事マナーの代表格。
しかし最近では、食事のあいさつをしない方も増えているらしいですよ。

言わないと怒られちゃうよぅ~

こんにちは。桃泉です。
ご飯を食べる時に「いただきます」と思考停止で唱え続けているうちに、三十路を越えてしまいましたw
習慣怖ぇ~、マジ怖えぇ~。

さて、多くの方が毎日唱えている「いただきます」。
どうして言っているのでしょうか?
もしも小さな子どもに尋ねられたら、何と答えますか?

桃泉は教員を目指したころから、些細な疑問について深掘りする変な癖ができてしまいました。
今回はそのうちのひとつ、食事のあいさつの必要性について共有します。

言葉の意味/歴史/外国の事例などを見ていきながら、食事のあいさつについて考えられるようにまとめました。
きっと今以上に食事のあいさつに親しみを感じられると思いますよ。
(最終更新:2021/09/12)

食事のあいさつを紐解く

いただきますと言う夫婦

「いただきます」「ごちそうさま」の意味とは?

まず言えるのは、あいさつであること。
「おはようございます」「こんにちは」そして「ありがとう」。
食事のあいさつは「ありがとう」に近い言葉とされています。
つまり食料となった動植物、調理などをした人々それぞれに感謝を伝える言葉という考えが一般的ですね。

しかし、何ともフワフワとした感謝に感じられませんか?
きっとそれは「○○に感謝」と対象が明確になっておらず、食事に関わった全てに向けての感謝だからでしょう。
全てのものに神様が宿るとされる日本独特の考え方が、この表現を育んだのではないでしょうか?

無宗教でも感謝の心はあるものね~

他には「いただきます」「ごちそうさま」がそれぞれ、
「いただきます」⇒食料への感謝
「ごちそうさま」⇒人々への感謝
を示しているといった考え方もあるようです。
こちらは言葉の曖昧さを嫌って分けたようにも感じられますね。

いずれにせよ感謝を伝える言葉なのは確かだと言えますね。

 

「いただきます」の歴史は浅い!? 

食事のあいさつは「文化」として語られるので、長い歴史を持っていると考える方も少なくないでしょう。
たとえば伝統芸能狂言には、食事の際に「いただきます」という表現があったと聞いたことがあります。
ということは、言葉としては古くから存在していた可能性は高いと言えますね。

何かを貰う時に「いただきます」は使うよね

桃泉も「江戸時代にはあったんじゃね?」くらいには考えていましたw
しかしどうやら「いただきます」文化の歴史は、意外にも浅いものだったようです。

実は文化として定着し、一般的になったのは戦後という説が有力です。
と言うのも、篠賀大祐さんは著書『日本人はいつから「いただきます」するようになったのか』にて昭和初期に広まり戦後に一般化した」と語っていること。

さらに柳田國男さんも著書『毎日の言葉』にて「最近はやたらにイタダクという言葉が乱用されている」と語っています。
これらから習慣化されたのは近年である説は強まりますね。

加えて、戦後の厳しい義務教育です。
徹底的に「いただきます」「ごちそうさま」を叩き込まれたら、やらない訳にはいきませんよね。
その教育で育った子供が親になり……いや、子供は親を見て育ちますから、自然と受け継がれて今日に至るのでしょう。

宗教との関係性

調べてみると英語には「いただきます」と同じ表現は見当たりません。
日本の映画やアニメの英語字幕を見る限り「I'm eating」「Thank you」「Let's eat」といった表現が使用されていました。
同様に、中国語/フランス語/中国語/ドイツ語も「いただきます」とバチッ!!とイコールになる言葉は見られません。

それなら「いただきます」と言うのは日本独自の文化なのでしょうか?
答えはNO。
キリスト教には食前/食後のお祈りがあるのを忘れてはいけません。
そしてアメリカの約8割の方がキリスト教徒です。

桃泉もキリスト教主義の学校に通ってましたので、修学旅行などのみんなで食事を行う時は食前のお祈りをしてました。
カトリックのお祈りは……

父よ、 あなたのいつくしみに感謝して この食事をいただきます。 ここに用意されたものを祝福し、 わたしたちの心と体を支える糧と してください。 わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン。
毎日の祈り | キリスト教 | カトリック | Love of Christより引用

こんな感じで長々と「いただきます」を言うわけです。
うん、日本語便利。
ただしキリスト教では食料への感謝というよりも、神様への感謝が中心に行われているようですね。

ちなみにアラビア語では食前に「ビスミッラー(唯一神アッラーの名をもって)」、「アルハムドリッラー(唯一神アッラーへの賛美)」という言葉があります。
これが「いただきます」と「ごちそうさま」にあたる訳ですね。
イスラム教と深い結びつきのあるアラビア語ですから、言葉自体に神様を信仰する意味が含まれるのでしょう。

これら点から「いただきます」という言葉は、宗教的な考えも内包していると言えそうです。
いくら無宗教と言っても、その根底には八百万の神々が住まう日本です。
やはり食事にも神が宿っていると考えると、スッと腑に落ちるものがあります。

「いただきます」は必要?それとも……

いただきますをするクマ

『給食を食べる時に「いただきます」「ごちそうさま」を言わせることに激怒した親からクレームがあったので、その小学校では食事の前後で笛を吹くことにした』

こんな話が話題になったこともありますね。
小学校の名前は明らかにされておらず、真実かどうかは不明なものの、考えるきっかけを与えてくれました。
ただ「ありそう!」と感じてしまうのは、どこか悲しく感じます。

国歌を歌うの歌わないの言ってるからね…

給食費を払っているからお客様!だから神様だぁ~ヒャッハァ!!」といった、お客様教の信者様は論外としても、やはりクレームは避けたいもの。
「クレームに発展するくらいなら……」という保身から、食事のあいさつを笛に変えたのがこのエピソードに潜む一番の問題点かも知れませんね。

そんな感じでバチバチな展開が繰り広げれていますが、両者の意見を探りつつ、解決に向かえればと思います。

「いただきます」を言う派の意見は?

一体どのくらいの方が食事の際に「いただきます」を言うのでしょうか?
少し調べてみると、「いただきます」って言いますか?|株式会社ぐるなびのプレスリリースに、約6割の方が「いただきます」を言うというデータがありました。

SNSでその理由を見てみると、

・育ちが良く見える
・大切にしたい文化
・何となく習慣だから
・単純にいいなと思うから続けている

といった意見が見られました。

TVでは言う人ばかりね♪

「良いと思うから続ける」これが本当の答えなのかも知れません。
歴史を見ても良いものは脈々と続き、悪いものは自然に淘汰されていますからね。
また「何となく使っている」といった方も多く見えましたが、やはり潜在的に「悪いもの」とは考えられていないのでしょう。

他にも「育ちがよく見える」という意見は何とも外聞を気にする日本人的ですね。
TVやYoutubeなどでも「いただきます」を言う人が多く感じるのは、このためかも知れませんね。
ぐるなびのデータでも、1人の時より他者といる方が「いただきます」を言う人が多かったのも頷けます。

「いただきます」を言わない派の意見は?

同様にSNSで考えを探ると、

・別に誰にも感謝していない
・戦後教育は古い考え方である
・宗教/価値観の押し付けが不快
・お金を払っているのだから必要ない

などの理由がありました。

様々な方の意見を拝見しましたが、結局のところ強制に対する批判が多いですね。
確かに食事のあいさつをすれば評価が上がり、しなければ下がるという風潮はあります。

だからTVではあいさつをするんだねぇ~

中にはボロクソ言う方も居られますから、これはもうトラウマ確定。
桃泉だって、こんなことで詰められたら泣いちゃいます、ぐすん。
それなら「いただきます=強制」という考えに至るのも無理はありません。

少し小難しい話をするなら、この強制に対する反発心のことを心理学では心理的リアクタンスと呼んでいます。

本来自由であるものを取り戻したいという強い欲求は、たとえ自分に利益をもたらすものであっても反発心を生み出してしまうのです。
「勉強しなさい!」って言われるとムカツクや~つですね。

そしてしつこく言われるほどに、
⇒「何コイツ、マジウゼェ!!」
⇒「もうコイツの言うこと聞かねぇ!」
のように、人間に対する拒絶が生まれるんです。
これが「ブーメラン効果」と呼ばれる心理作用で、説得が失敗してしまう原因なのですよ。

以前にも食事の時に手を合わせるという行為が「仏教の押し付けだ」という論争がありました。
仏教は関係ないという声もある中、宗教に嫌悪感を抱く方からしたら堪ったもんじゃないのでしょう。

他の意見に関しても、やはり心理的リアクタンス如実に認められます。
つまり「いただきます」を言わなくなる原因は、必要以上に強制する人の存在が大きいのでしょう。

「いただきます」が必要な理由は結局……

さて、結局なぜ食事のあいさつは必要なのでしょうか?

食事のあいさつは感謝だと確認しましたが、やはり飲食店勤務の多くの方は「言ってもらえると嬉しい」と語ります。
私たちも誰かに「ありがとう」と言ってもらえると心が温かくなりますよね。
しかし逆に「ありがとう」と言ってもらえなかった時はどうでしょうか?

ハァ?二度と助けねぇよ!!

別にスルーしても良いのですが、悲しさや虚しさを感じる方も居られるでしょう。(中にはブチ切れるヤベー奴もいますがw)
いずれにしても「ああ、この人は感謝しないんだな」という評価が心の中で静かに下されるのは想像に難くありません。
このあとの人間関係はお察しのとおり。
それが食事へと置き換わったのが「いただきます」なのです。

また「命を頂く」というのは紛れもない事実で、「食べる」という行為は生きる上で必要不可欠です。
必要不可欠であるが故に日常作業化してしまうんですよね。
その結果として「命」の存在が置き去りにされるのです。

すると魚や肉を切り身でしか知覚できず、本来の大きさや生態を知ろうとする心も生まれません。
聞かなければ誰も教えてくれませんから、やがて知識が無い状態でさまざまな判断を下す時が来てしまうのです。
そこには動植物の命以外にも人の命だって関わっているのに……ね。
「魚は切り身で泳いでいると勘違いする現代っ子」なんて都市伝説も、知識の欠落に対する警鐘なのかも知れませんよ?

そして食料への関心が薄れてきたからこそ、日本における年間600万tという食品ロスに繋がっているのは言うまでもないでしょう。
ONE PIECE』のサンジに知られたら、確定でオロされますねw

600万tは流石にもったいないわね……

食料となった命や食事に関わった人々への感謝。
きっと、その意味を食事のたびに思い出すのが「いただきます」なのでしょう。
食べ物を大切にできれば、食糧問題へ意識が向きます。
人々を大切にできれば、気持よく働くことができます。
巡り巡って、やがて自分に還元される訳ですね。

…とまぁお花畑理論かも知れませんが、これらの理由から「いただきます」は”言ったほうが良い”とされています。
敬語やあいさつ同様に「処世術」として考えれば、「いただきます」に対するハードルも下がるのではないでしょうか?

絵本なら子どもに伝わりやすい

食事について理解を深めたいと思い、読んだ本で「良かった」と感じた本を2冊ご紹介します。
ともに絵本ですが、絵本だからこそ子供にも伝わりやすいと桃泉は感じます。

絵だと感情が想像しやすいよね~

1冊目は『いのちをいただく』という絵本です。

もともとは単行本『いのちをいただく』でしたが紙芝居として流行し、絵本になりました。
「食肉」となる運命の牛のみいちゃんとのふれあいや別れ、そして涙しながらもみいちゃんをいただく……
誰かが殺さなくては食べられないお肉と、食べ物が生き物から成り立っていることを教えてくれる作品です。

原案:坂本義喜さん
作者:内田美智子さん
絵:魚戸おさむとゆかいななかまたち
出版社:講談社

次は『しんでくれた』という絵本です。

『二十億光年の孤独』で知られる谷川俊太郎さんの詩を絵本にしたもので、「しんでくれた」のは牛だけじゃないと、様々な生き物を挙げていきます。
そして「でも僕は死んでやれない」と続き、一つ一つの命の大切さを教えてくれます。

「命とはどういうものか?」読み手の想像を刺激させる作品です。
命を軽んじる言葉が横行しているからこそ、今一度命について考えてみる必要もあるのではないでしょうか?

詩:谷川俊太郎さん
絵:塚本やすしさん
出版:佼成出版社

結論まとめ:ご飯が食べられるのはありがたい♪

「いただきます」は結局「ありがとう」なんですよね。
おいしいご飯が食べられる幸せは、動植物の命と人々の努力から成り立っています。
本当に理解した時に心から「いただきます」と言えるようになるのでは?と桃泉は思うのですよ。

それでは今回のまとめです。

★ポイントまとめ★ ・「いただきます」は感謝の言葉
・食料問題は関心の希薄さが原因
・人は強制されると自然に反発する
・「処世術」と考えれば抵抗も少ない
・食事は動植物の命と人の努力で成り立つ

世界的に異常気象が問題となっており、食物の価格高騰も広がっています。
少しずつ食品が値上げされているのを痛々しく思う方も多いでしょう。

しかしその一方で、食料を600万tも捨ててしまっている事実……
食事について改めて考え直す時期が、今まさに来ているのかも知れませんね。

食べ物は大切にしたいね~