桃泉の備忘録

日々巻き起こる出来事や知っていて良かったと思ったことをまとめた雑記ブログです♪「知らずに損をした…」という残念な思いを糧に、皆様に共有します!!

食事の挨拶「いただきます」「ごちそうさま」は言わなきゃダメ?

 こんにちは。桃泉です。

みなさんはお食事の際に「いただきます」言ってますか?

ご存知の通り、食事の時には「いただきます」「ごちそうさま」このような挨拶を行うのがマナーとされています。

しかし、近年このような挨拶を見かけない場面も出てきましたね。

さて、「いただきます」「ごちそうさま」はどうして必要なのでしょうか?

小さなお子さんに尋ねられた時、どうしてだか答えられますか?

 

というわけで、今回は食事の挨拶についてお話します。

言葉の由来や挨拶が大切にされている理由などを共有できればと思います。

きっと、今以上に食事の挨拶に親しみを感じられるのではないでしょうか。

◆食事の時の挨拶に異変が生じている

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『給食を食べる時に「いただきます」「ごちそうさま」を言わせることに

激怒した親からクレームがあったので、

その小学校では食事の前後で笛を吹くことにした』

という話が一時期話題になりました。

 

小学校の名前は明らかにされておらず、

真実かどうかは不明なものの、

考えるきっかけを与えてくれました。

ただ、「ありそう!」と感じてしまうのは、

世の中がそうなっているということなのでしょう。

給食費を払っているのだから……」

のようなお客様至上主義的な考えは

何ともさもしく感じられてなりませんが、

はて、何故私たちは食事の際に挨拶をするのでしょうか?

キリスト教では食事の前後に祈りを捧げる

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調べてみると英語には「いただきます」と同じ表現は見当たらず、

日本の映画やアニメの英語字幕を見る限り、

「I'm eating」「Thank you」「Let's eat」

といった表現が使用されています。

ですから食事の際に挨拶をするのは

日本独自の文化のように思いがちですが、

キリスト教でも食前・食後のお祈りがありますね。

 

映画などで見たという方もおられるのではないでしょうか?

私もキリスト教主義の学校に通ってましたので、

修学旅行などみんなで食事を行う時は。

「主よ、今日も生きる糧をお与え頂き感謝します。」

といった内容の食前のお祈りをしてました。

 

カトリックの正式なお祈りは以下のようなもののようです。

父よ、あなたのいつくしみに感謝して、この食事をいただきます。
ここに用意されたものを祝福し、
わたしたちの心とからだを支える糧としてください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

カトリック聖パウロ修道会の公式サイト

食前の祈り、食後の祈り――神さまとともに歩く修道院の祈り

https://sanpaolo.or.jp/?p=9869

より引用

 キリスト教において食事の挨拶は、

食料への感謝よりも神様への感謝を中心に行われているようですね。

では日本の場合はどうなのでしょうか?

◆「いただきます」「ごちそうさま」の意味とは?

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まず言えるのは、挨拶であること。

「おはようございます」「こんにちは」そして「ありがとう」。

食事の挨拶は「ありがとう」に近い言葉とされています。

食料となった動植物、調理などをした人々それぞれに感謝を伝える言葉

という考えが一般的ですね。

しかし、何ともフワフワとした感謝に感じられる気がします。

それは「○○に感謝」と対象が明確になっておらず、

全方向への感謝だからでしょう。

きっと全てのものに神様が宿るとされる日本独特の考え方が

こういった表現を育んだのではないでしょうか?

 

また「いただきます」「ごちそうさま」を別々に考え、

「いただきます」には食料への感謝を、

「ごちそうさま」には調理などをした人々への感謝を

示しているといった説もあるようです。

こちらは言葉の曖昧さを嫌って分けたようにも感じられますね。

どちらにせよ、感謝を伝える言葉なのは確かなようです。

◆実は割と歴史は浅い!? 

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『文化』として語られる訳ですから、

日本の食事の挨拶において歴史はかなり古いのでは?

と思うかも知れません。

しかしこの文化は意外と浅いものだったようです。

 

狂言には食事の際、「いただきます」という表現があったと聞きますので、

意味を含んだ言葉としては存在していたのでしょう。

しかし、篠賀大祐さんは

著書『日本人はいつから「いただきます」するようになったのか』

において昭和初期に広まり戦後に一般化したと語っており、

柳田國男さんは昭和17年

「最近はやたらにイタダクという言葉が乱用されている」

と語っていることから習慣化されたのは割と近年であることがうかがえます。

 

加えて、戦後の教育は厳しかった聞きますので、

食事のマナーとしての教育が学校を通して行われたと

考えるならば理解しやすいですね。

そしてその教育を受けた親が子に教え……

いや、教えるまでも無く子供は親を見て育ちますから、

自然と受け継がれて今日に至るのでしょう。

◆食事の挨拶をする人はどんな思いを抱いている?

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大体7割ほどの方が食事の挨拶をすると聞いたことがあります。

SNSでその理由を見てみると、

  • 「大切にしたい文化」
  • 「単純にいいなと思うから続けている」
  • 「何となく習慣だから」
  • 「育ちが良く見える」

などの意見がありました。

「良いと思うから続ける」この考えが私にはしっくり来ました。

確かに歴史を見ても良いものは脈々と続き、

悪いものは自然に淘汰されておりますからね。

 

ただ、「何となく言っている」といった方も多く見えましたので、

 あまり深く考えずに挨拶をしている方も一定数おられるのでしょう。

もしかすると、そういった方々には何かのきっかけで、

ふと食事の挨拶に疑問を持った時にその答えが見つからないと

食事の挨拶に必要性を感じなくなる瞬間が来るのかも知れません。

そして、今までやっていたことが愚かしく感じてしまう……

 昨今のクレームはこの時に感じた怒りや悲しみが相乗されて

暴走化してしまっているのではないでしょうか?

◆食事の挨拶をしない人はどんな思いを抱いている?

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様々な方の意見を拝見したところ、

強制に対する問題提起が多いと感じました。

確かに食事の挨拶をする人の評価が高いという風潮はあります。

そんな中うっかり挨拶を忘れてしまった時に、

ボロクソ言われるなんて怖いですよね。

本来自由なものとされるはずなのに、

一種の強制力が働いていることが不満のタネなのでしょう。

同様にSNSに答えを求めるならば、

  • 感謝をしていないのに言っても意味がない
  • 必要以上に感謝することで経済に影響を与えている
  • 文化や宗教の押し付けは罰以外の何者でもない

などの理由がありました。

 

以前にも食事の挨拶の時に手を合わせるという行為が、

「仏教の押し付けだ」という論争がありました。

仏教は関係ないという声もある中、

宗教に敏感な方からすれば食事の挨拶は紛れも無い宗教行為なのでしょう。

 

いずれにしても、強要されることに抵抗の無い人は少ないでしょう。

このことも前述のクレームが発生する原因の一つなのではないでしょうか?

◆「いただきます」「ごちそうさま」は言わないとダメ?

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「クレームに発展するくらいなら……」

そんな考えにも至ってしまう訳ですが、

結局、なぜ食事の挨拶は必要なのでしょうか?

 

例えば、誰かに「ありがとう」と言ってもらえると心が温かくなりますね。

食事の挨拶は感謝。つまり「ありがとう」に通じるわけです。

その様に考えるならば、

逆に「ありがとう」と言って貰えなかった時はどう感じるだろう?

そんなことを考えると、言った方が良い気がしてきます。

飲食店勤務の方々も「言ってもらえると嬉しい」

と語る方が多いです。

 

また、私たちが生きるためには「食べる」という行為が不可欠です。

食を考えることは命を考えることに繋がると私は思います。

この命を考え、教えることが少なくなった結果、

「魚は切り身で泳いでいる」と本気で勘違いする子供が

出てきてしまっているのではないでしょうか?

「食べることができる」ということを当たり前に考えないためにも

食事の挨拶を意味を踏まえた上で行うのは大切なことなのでは?

私はそう感じます。強制はいけませんけど。

◆絵本でも学ぶことができます

『いのちをいただく』という絵本がありますのでご紹介します。

原案は坂本義喜さん、作者は内田美智子さん、

絵は魚戸おさむとゆかいななかまたち

出版社は講談社になります。

 

もともとは単行本『いのちをいただく』でしたが、

紙芝居として流行し、絵本になりました。

「食肉」となる運命の牛のみいちゃんとのふれあいや別れ、

そして涙しながらもみいちゃんをいただく……

誰かが殺さなくては食べられないお肉と、

食べ物が生き物から成り立っていることを教えてくれる作品です。

以下商品リンクになります。

もう1点『しんでくれた』という絵本もあります。

詩は谷川俊太郎さん、絵は塚本やすしさん、

出版社は佼成出版社になります。

 

『二十億光年の孤独』で知られる谷川俊太郎さんの詩を絵本にしたもので、

「しんでくれた」のは牛だけじゃないと、様々な生き物を挙げていきます。

そして「でも僕は死んでやれない」と続き、

一つ一つの命の大切さを教えてくれます。

命とはどういうものか?読み手の想像を刺激させる作品です。

以下商品リンクになります。

 

「死ね」とか「殺す」といった言葉が横行しているからこそ、

今一度命というものを考えてみる必要もあるのではないでしょうか?

 

 

今回のお話は以上になります。

「いただきます」と「ごちそうさま」という食事の挨拶は

その意味を考えると感謝に他なりません。

「ありがとう」と伝えるのと同じように考えれば、

強制的になる必要もなく、自然と行えるのではないでしょうか?

みなさんが温かい心を持てることを願います。

最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。

これからもよろしくお願い致します。